先日職場の先輩と雑談をしていて、
小学校の林間学校で肝試しをやった時のことを、ふと思い出した。
たまんなく怖かったということで、
何が怖かったのかと言うと。
肝試しでは、
夜中に
今は使われていない、閉鎖された林道を歩いて、
何かを取ってくるとかそういうものだった。
何をとってくるのかとか。
当時好きだった男の子と本当は一緒に行きたかったけど。
そんなことは恥ずかしくて言い出せなくて、
結局誰と一緒に行ったのかについてはどうしても思い出せない
と言うのは余計なことなので置いておくとして、
何が怖かったのかというと
舗装された道路のど真ん中から、
細い木が生えていたりとか。
錆付いたミラーとか、そのミラーに蔦が絡まっているとか。
そういうのがたまらなく恐ろしかった。
もちろん暗かったし。
先日やっと。
それが何で怖かったのかと説明することが出来た。
ようするに。
人間の世界が山にのみこまれていくさまが、
とてつもなく恐ろしかったのだろうと思った。
私が今住んでいる世界と言うのは、
人間が押さえつけていることによって、
何とか生活できる環境を維持しているが。
おそらく、
押さえつけることを止めたとたんに。
もりもりと「山」にのみこまれてしまうのであろうな。
と考えると恐ろしくてしょうがないのだ。
ただし。
人間が集合体となって、「山」を押さえつける力はものすごく強くて。
それは人間が土木工事とかで自然をめちゃくちゃに歪めることが
出来るとかそういう話以前に、
例えば私が死んで今の家から出ていったとしても、
すぐに代わりに家に入る人間が見つかるであろうこととか。
そういう日常的かつ連続的な人間の世界を維持する構造というか、
そんな感じの力が強い気がする。
何を書いているのかだんだん分からなくなってきたけれども。
人間の世界と、その外側に、
境界線と呼んでいいのかどうか分からないけれども、
おそらく境界線があって、
その境界線はしっかりしているようで、
実はあいまいで、常に揺らいでいて。
そんなようなことを考え始めると。
人間と言う集合体の意味が良く分からなくなってくるし、
自分自身がそこに属するものとして、
一体どういう存在なのか、人間の世界の外も含めて考えたら、
余計に何者なのかさっぱり分からなくなってきて。
恐ろしいなあと思いつつ。
なんだかとっても疲れてしまって、
考えるのはもういいやって気持ちになってくるのである。
小学生の頃、
そんなことまで考えたかどうかは分からないけれども。
きっとものすごく価値観が揺らいだんじゃないかな、
その価値観の揺らぎを言葉で表現しようとすると、
今書いたような感じになるような、
ならないような。
と言うのが今日の感想。
そういえば林間学校で一番怖かったのは。
肝試しよりも。
肝試しが終わった後に、
部屋で同級生が怖い話をしていて。
怖い話の内容は良く覚えていないのだけれども、
あまり怖かったから布団の中にくるまってかくれていて、
しかしながら、
かくれようとすればするほど。
自分が寝ている布団の真上の天井に、
緑色をした、セミの幼虫で、頭がおじさんの何かがいるような気がして。
たまらなく恐ろしかったのだけれども、
あれがなんだったのか今でも良く分からない。