かちかち山という民話がある。
確認してみたら、何種類かパターンがあるのだけれども。
ここでは、ジジイがババァ汁を食べるタイプの話を主に取り上げる。
というか、ババァ汁を食べるシーンが怖すぎるので、
それについて述べる。
「いま食ったのはババァの汁ですよ」
とは狸の言葉である。
(文献によって何種類かあるが概ね趣旨は同じである)
考えれば考えるほどに恐ろしいのである。
ひとつには、ババァの汁。すなわち人肉を食ったというおぞましさである。
しかもババァの汁である。
これが若い女性の汁であったら、ぷりぷりとした肉質で、エロチックな妄想もあいまって、
なんとなしに生唾が出そうな感じであるが、
熟しに熟したババァの汁である。
そこからエロチックな妄想は全く喚起されず、
(ババァが大好きというマニアの方もいらっしゃると思うが一般的に考えると)
老女の肉汁、人の肉のすっぱいエキスが口の中に広がってくるような感じがする。
しかし、この場面からは人肉を食べるというおぞましさ以上に
何か釈然としないもやもやとした気持ち悪さを感じるのである。
この物語の他の部分は、
日本の伝統的な農村風景とコミカルな人物描写でとても楽しい物語であるのに、
ジジイがババァ汁を食べるという生々しい場面は非常にすわりが悪いように思われる。
実際この場面が省略されるタイプの物語も多い。
単に狸がババァをぶん殴って殺すのである。
釈然としない。
本当に狸はババァ汁をこしらえたのだろうか。
確かに狸はジジイにひどい目にあわされている。
命までとられそうになっているのである。これは復讐に値する。
しかしながら、ババァを殺害し、その皮をかぶりババァに化け、ババァ汁をこしらえて、ジジイの帰りを待つ、などといった手の込んだことをするほどのことであろうか。
執念を通り越して薄気味悪いのはこの点である。
狸はババァ殺害のみならず、ババァに成り代わる。
狸の行動の後半部分を見てみるとこしらえているものはババァ汁であるが、
ババァそのものである。
もしかしたら、風呂も沸かし、布団を敷いていたかもしれない。
そう考えると狸がなんとなくけなげに思えてくる。
ちなみに、この場合ジジイの帰宅後の選択肢はメシ・フロ・ネルであるが、
ジジイが「フロ」を選択した場合はジジイ汁の出来上がりで。
「ネル」を選択した場合は・・・・・・・・・なんとなく怖いからこれは止めておこう。
こうしてみてみると、
やはり狸の行動は執念を通り越して薄気味悪い。
復讐の行動としてはあまりにも割が合わないのではないか。
実際、撲殺し逃走すれば済む話で、そのように置き換えたタイプの話もある。
そこで、こうは考えられないだろうか。
「ババァを殺害したのはジジイである」
ジジイは老人ボケが進行し、次第にババァが何者かに入れ替わっているという妄想を持つようになる。
その証拠に、ババァは笑わないし、声も変である。何かがおかしい。
これはババァではなく、いつか田畑を荒らしていた狸が復讐のためにババァに化けているのである。
分裂症患者の妄想に、
家族が別人に入れ替わっている、外見がそっくりのロボットに入れ替わっている、などといったタイプのものがあるらしい。
ジジイの言動はこの妄想に非常に親和性があるように思われる。
そうすると、
ババァの発言「いま食ったのはババァ汁ですよ」はジジイの幻聴である。
ババァは殺害された当日も、
いつもと同じように夕食(この日は狸汁)をこしらえ、風呂を沸かし、布団を敷いてジジイの帰りを待っていたのである。
しかしジジイは「いま食ったのはババァ肉」発言に憤慨し、
ババァを殺害、だって尻尾が出ていたもの。
これの中身は抜け出して逃走したのだという供述である。
もともと骨と皮のようなババァである。中身があろうが無かろうが大差は無かろう。
実際にジジイは狸に田畑を荒らされていて大変な迷惑をこうむっていたであろうし、
ババァはもしかするとタヌキツキ系統の家の女性だったのかもしれない。
物語はこの後、表題の「かちかち山」が出てくる「懲らしめ」の内容に移る。
これは何らかの懲らしめタイプのの物語と融合し、つじつまを合わせるために登場人物等が整えられて整合性のある物語になっていると考えられるが、
今日のところはお愛想ということで。